ムーンライトハニー | 禿鷹亭綺譚

ムーンライトハニー

俺の名前はジェイ。いや、本名では無いのだが、酒場を呑み歩いてるうちにいつしかそう呼ばれるようになっちまった。
まあ、そんな事はどうでもいい。取るに足らないつまらない事だ。

その昔は活気に溢れていた盛り場の片隅。
古ぼけたビルの階段を昇って行くと、そこにその酒場はある。店の名はコンドル。
ここにはいっときの酩酊を求めて、どこからともなく訳ありげな人々が集まってくる。
さあ、今宵も彼らの話しに耳をそばだててみるとするか。

「だんだん日が落ちるのが早くなってきましたねえ」柄にもなくしんみりとした表情を浮かべるマスター。「僕は子供の頃から夕日を見るとなんだか泣けてきちゃうんですよ」
「それは結膜炎、という病気だ。サッサと眼科に行け」
「いつもジェイさんと話してて思うのは」溜息をつくマスター。「ワビサビとか、繊細な心とか、そういう人として大切なものが欠落している人と付き合わざるを得ない自分の不幸を感じてしまうんですよねえ。」
「そうか、珍しく意見が一致したな」思わずニヤリ。「オレも下ネタとゴシップ話しを最大の生き甲斐にしている男がカウンターに立つ潰れかけの酒場に通い続ける自分の愚かさを嘆いてるところだ。」
「そうですか!それは良かった!」心の底から嬉しそうなマスターが『Fighting Cock 6 Years Old』をショットグラスに注いでよこす。「永遠に交わらない僕らの友情に乾杯です、ジェイさん」
戦闘的な荒々しさを持つこの酒が舌にガツンと来た瞬間、バタンと派手にドアが開いてフリフリのマイクロミニを履いた女が入ってきた。
「やーん、マスター久しぶりー。やーん、ジェイたんも!」
アニメ声優のようなキュートな声にブリブリファッションで決めてるのは、ある意味この酒場のアイドルである亜優だ。
「ジェイたん、と呼ぶなと何度言ったら分かる?」
「やーん、ジェイたん。顔が怒ってて怖いよお。男の子は可愛く、可愛くね」
「まあまあジェイさん。ジェイたんでもジェイそんでも何でも良いじゃないですか。どんな名前で呼ばれていても、所詮タダの呑んだくれオヤジなんですから」
「マスター、あんた長生きとかには興味無いのか?」
「マスター、ジェイたん、お話しがあるのよ。ねえ、聞いて、聞いて」
「亜優ちゃん、また誰かをその気にさせておいて知らん顔って話し?」
「違うよお、マスター。人聞きが悪い事言わないで。私はいつでも真剣に恋に落ちてる純粋な乙女なのに」
「乙女、と言うのは、バージンの事だぜ。悪い冗談は止めろ」
「もー、ジェイたんたらあ。いつも女の子をイジメて喜ぶのは悪い癖だぞ」何も話す気力が無くなった。
マスターがニヤニヤ笑いながら、パイントグラスに『DELIRIUM tremens』をサーバーから注いで亜優に渡す。「アルコール中毒による幻覚症状」という銘柄名の通り、たかがビールと思って舐めていると気が付けばヘロヘロになっちまう代物だ。
「亜優ちゃん、これは僕が御馳走するよ。その楽しい話しを聞かせてよ」相変わらずの野次馬ぶり。そして商売下手。

夕日が落ちたが、空はまだ赤く染まっている。
そして美しいグラデーションの中に小さな月が。
切なさを司る女神の登場。

「一週間前の話しなんだけど」意外にも酒が強い亜優が、一気にビールを呑み干しておもむろに話し始める。「ポストに宛先が間違った葉書が入っていたの」
「それは、お前がもてあそんでストーカー化した男からの手紙じゃないのか?」
「えー、もしかしてー、ジェイたんも亜優のストーカーになっちゃったの?」
「どこをどう聞いたらそういう話しになる?」こめかみに青筋が立ってるのが自分でよく分かる。
「もう、この怒りんぼさん。あんまりプリプリしてると早死にしちゃうよ」キャッキャと笑い転げる亜優。怒る気も失せた。「それでね、その手紙は私の住んでいるマンションの1011号室に送られてきたんだけど、そんな部屋は存在しないの。私の部屋が1010号室で、そこが角部屋だからそれ以上の部屋番号は無いの。そして葉書の宛名は、愛由へ、とそれだけ書かれていたの。漢字は違うけど私と同じ名前だから、ビックリしちゃったあ」
「やっぱりそれは亜優ちゃんのファンの男が間違えただけじゃないの?だって酒場で自己紹介する時は漢字まで言わない事が多いし、部屋番号だって単純ミスとも考えられるし」
「それが違うんだなあ、マスター。その葉書がこれなの。見てみて」
その葉書には確かに亜優の言うとおりの宛先と宛名、そして裏面にはこう書かれている。『いつまでも僕の大切な宝物、愛由へ。今日、約束の10年が経ちました。君と会いたい気持ちを一生懸命堪えてこの10年間生きてきました。正確には10年と11日ですね。君と過ごしたその1011号室と同じ月日待つのが約束だったから。その部屋からしか見えないあの教会にかかる夕焼けは、今でも僕の心に焼き付いています。でもやっと君に会えるのですね。君に貰ったあのアルバムを持って、何度も一緒に夜を過ごしたあのカフェで君を待っています。中秋の名月の夜に』と。
「部屋から見える景色ってヤツは・・・」
「ジェイたん、それが不思議なの。私のマンションの少し先に有名な建築家が設計を手掛けたオフィスビルがあるんだけど、そのビルの真ん中にデザイン的にポコンと穴が開いていて、そこからビルのあちら側が見えるの。でも角度的に私の部屋からしかその教会は見えないの。屋上からでは駄目。ビルが微妙に邪魔して見えないの」
「その部屋に入らない限り見れない景色って訳か」
「そして私は一年前にこの街に越してきたから、その送り主の人は知らない。でもスゴく気になるでしょう?だって私と同じ名前の人に宛てた葉書だし、そのラブに溢れた文章も」
「ラブって、お前・・・」思わず苦笑い。「でも確かに興味が惹かれる話しではあるな」
「でしょでしょ?だからねえ、亜優ねえ、会いに行っちゃったのよ、その約束の夜に、そのカフェに」
「おおっ、相変わらず怖いモノ知らず、と言うか、考えるより身体が反応してしまう亜優ちゃんらしいね」
「ヒドいなあ、マスター。亜優はそんな子じゃありません!」
「ま、当たらずとも遠からずってところだけど・・・。まあ、とにかく話してみろよ、その出会い系なお話しを」
「もう、ジェイたんっていっつも毒舌なんだからあ。そんなんじゃあ、いつまで経っても女の子にモテないぞ」
「お前・・・」意外と図星。
「アハハ。それでね、そのカフェに行ったら・・・」

時が経ち、月がその大きさを増す。
都会の汚れた空気に滲みながら。
だけどその夜空に溶け出す妖しい光に心惹かれるのは何故だろう?

「指定されたカフェは、大きな川が海に変わる辺りの川岸にあるオープンスタイルのフレンチカフェ。知ってる?」
「ああ、この街に最初にできた草分けのカフェだよな。ムサいオレには似つかわしくない場所だけど」
「私は当然その人の顔を知らない。でもカフェに写真アルバムを持ってきてる人なんてそうはいない筈だからすぐ見つかると思ったんだけど、それがなかなか見つけられない。どうしよう、と思っていると、テラス、と言うかボードウォークのテーブル席に男の人が座っていたの。なんだか物思いにふけってる様子で、川に映った月をボンヤリ見ているの。近付いてみるとテーブルの上には『Breakfast at Tiffany's』のサントラ盤が。CDじゃなくて昔のアナログ盤ね。ああ、アルバムってレコードだったのねって思って、この人が葉書の送り主だって分かったの」
「僕はあの映画の『Moon River』って曲が好きでねえ。あのメロディが流れてくると涙がこぼれちゃうんだよ」
「それは結膜炎だ。早く眼科に行け。いや、心の病だ。心療内科に行け」
「さ、センチメンタル、という素敵な感情を理解できない心が荒んだ人は放っておいて、と。で、その送り主の人はイケメンだったの?」
「あんたもセンチメンタルが何たるかを理解していないようだけどな」
「うん、とっても素敵な人。どこかに影があるんだけど、優しげでそれでいて男らしくて・・・。でも驚いたのは、私の顔を見た瞬間に、愛由!って声を上げたの。私の事を知るはずがないのに・・・」
「なんだか面白くなってきたな。マスター、あんたのレシピでブルームーンを」
往年の名曲からインスパイアされて考案されたカクテル、ブルームーン。ジンベースで、月明かりの色を出す為にバイオレットリキュールを使う。だが、実際見た目は青と言うより紫。その名に偽りあり、という感じか。マスターのオリジナルレシピは、バイオレットリキュールは薫り付けにカクテルグラスをリンスするだけで、シェイクはしない。だからジンが注がれたグラスは透明。そこに月下美人の花びらを散らす。月下美人は一年に一夜だけしか、その花を咲かさない。そのはかない運命の花は、蒸留酒に漬け込むと保存できる。マスターはこのカクテルの為だけに月下美人の鉢植えを育てている。ちなみに通常は月に見立てたレモンピールを浮かべるのだが、マスターのブルームーンは、三日月型のカットライムをグラスの縁に刺し込む。つまり月に照らされて美しく輝く女性、という訳だ。その酒の色は青くはないけど、そんな見た目よりも何よりも、酒に込められた思いの方が呑み手には伝わるもの。そしてこのレシピだと、不味いカクテルの代表であるブルームーンが美味く頂けるって訳だ。
「私は確かにアユだけど字も違うし貴方と会った事は無い、葉書に興味を持って貴方に会いに来ただけなの、と何度も説明したけど、彼は納得しないの。いや、絶対君は愛由だ、そんなにうり二つの女性がこの世にいる訳がない、たとえいたとしても僕が待つこの場所に現れたのが偶然とは信じられないって言うの。当然よね、彼がそう思うのも。もしホントに愛由ちゃんが私に似ているのなら、だけど」
「偶然にしても、あまりに不思議な話しだよねえ。僕が考えるに、彼は亜優ちゃんの事を下調べしておいて亜優ちゃんが興味惹かれる話しをでっち上げたのだと思うよ。好奇心旺盛で行動力溢れる亜優ちゃんの性格も知っててね」
「まあ、そういう線も考えられなくはないけど、もしそうだとしたら、何故亜優の部屋から見える景色まで葉書に書けるんだ?亜優の部屋に不法侵入したのか?それともヘリをチャーターして確認したのか?」
「でも、亜優ちゃん部屋の前の住人だった、という線も考えられますよね」マスターにしては鋭い意見。
「ううん、それはあり得ない。入居する時に不動産屋さんに聞いたんだけど、私の部屋はこの10年は空き部屋だったらしいの。それに私、こう見えても一度も男の人を部屋に入れた事は無いんだよ。だからどういう事かお話しを聞かせて下さいってその彼にお願いしたの。そしたらね・・・」フフフッと悪戯っ子のように笑う亜優。
「いいから早く続きを言えよ」
「彼は、君が・・・君が月から帰ってくるのを待ってたんだよ、と言うの」
「つ、月!?」マスターと二人して思わず声を上げる俺。

その昔、『月世界旅行』という小説があった。
いつの時代も人は月に異世界を求めた。
いや、正確にはこの地球と似た世界。
そして地球と月は、惑星と衛星ではなくて「双子星」なのだ。

「その彼って・・・もしかして電波系の人?」マスターがそう思うのも仕方がない事だろう。
「正直私も、この人カッコ良いけど心を病んでる人なのかな、と思っちゃった。でもね、話しを詳しく聞かせて貰ううちに、もしかして本当の話じゃないのかしらって思えてきたの」
「イケメンに弱いのは変わってないな」
「やーん、ジェイたん。私はいつもジェイたん一筋よ」またまた苦笑い。「でね、10年前に彼は、街外れのいつも霧が掛かっている山で愛由ちゃんに出逢ったらしいの。それも早朝の竹林で。」
「何でまたそんなところで・・・。農村に嫁を、みたいなテレビの企画か?」
「そんな企画だったら亜優も絶対行くう!」だろうな。「でもそうじゃなくて、彼はアウトドア大好きな人で、イカダを作ろうとしてたらしいの。地主に許可を貰って材料にする竹を切り出しに行ってたのね。ナタを持って一心不乱に竹を切ってたら、彼の目の前がパッと明るくなった。顔を上げるとそこには、早朝の太陽の光を浴びて白いドレスを輝かせる美しい女性が立っていたの。彼は凄く驚いた。山奥の竹林に場違いな格好をした女性が突然現れたら誰だってビックリするよね。君は誰だ?って彼が聞くと、いいじゃない、そんな事、と彼女は答えてくれない。で、逆に貴方は何故竹を切っているの?と聞かれたから、イカダを作る為だ、と答えると彼女は目を輝かせて、私も手伝うからイカダに乗せて、と言うの。戸惑いながらも彼は承諾した。二人で竹を川の岸辺に運んで、彼が手際よく荒縄でイカダを組んだの。ゆるやかな流れの渓流をイカダで下ったんだけど、水しぶきを浴びてキャッキャと屈託無く笑う彼女に、彼は心を惹かれていったのね。」
「僕も高校生の頃のデートは、お堀の公園のボートって決まってたなあ。広い空間に二人だけしか入れない場所。そういうシチュエーションってお互いの気持ちがドンドン盛り上がるんだよね。タマらず彼女に襲いかかろうとするとボートのバランスを崩して、いつも間抜けなオチになっちゃってたんだけど」
「やーん、マスター可愛い!マスターも高校生の頃があったのね。想像できなーい!」失礼な事を可愛く言うのはいつもの事ではあるけど。「で、彼と彼女はその夜に川岸に張った彼のテントの中で結ばれたの。そして彼は彼女に名前を聞いた。そう、愛由ちゃん。美しい名前だね、と彼が言うと、私はこの星に本当の愛を探す為にやって来た、それが私に与えられた使命なの、だから私は愛由と名付けられた、と言うの。愛の由来を探る為に、という事ね。彼は混乱しながらも彼女の話を聞いた。愛由ちゃんは月の住人で、高貴な家柄のお嬢様。でも男を男と思わない奔放すぎる振る舞いで、愛を捧げる人を傷付け続ける愛に欠けた女の子だった。そして月の司政官である父親が、断腸の思いで彼女に月からの追放を命じたの。地球で真の愛を見つける事ができたならその時は月の使者が迎えに来る、それができなければお前は月夜を飛び回るコウモリとして一生地球で暮らす事になる、と。そして与えられた期間は月下美人が花を咲かす夜まで、と言われたの。」思わずマスターと二人、ブルームーンを覗き込む。
「だけど・・・月下美人って、その株ごとに開花日は違うよね?都市伝説では一斉に咲くとは言われてはいるけど」
「愛由ちゃんが地球に降り立った場所に咲いてた月下美人の咲く日まで、という事なの。そしてそこが彼が竹を切っていた竹林。愛由ちゃんは街で暮らしていたんだけど、やっぱり月下美人が気になるから、暇があれば生育状況を確認しに来ていたの」
「そこで彼と出逢った訳か・・・」運命の出逢いが、必ずしも幸せな出逢いとは限らない。
「逢ったばかりだけど、二人は一緒に暮らし始めた。それが例の1011号室なの」存在しない部屋で愛を深める二人。いや、愛、というものの存在すら実は誰も実証できないのではないか。「二人は心の底からお互いを愛してたのだけど、それが父親から出された条件である本当の愛、というものなのかどうかが分からない。不安を抱えながら、だけどそれを打ち消すように、まるで残された時を惜しむかのように、何もかを投げ打ち、いっときも離れずに愛を確かめ合う二人。そして鉢植えにして二人の部屋のベランダに移された月下美人を、恐る恐る覗き込む毎日。それは愛の素晴らしさと別れの恐怖が交錯した日々だった。そしてとうとう中秋の名月の夜に美しい薫りを放つ月下美人の花が咲いたの」

月下美人は月光に照らされその花を輝かす。
「ポジティブ」な陽光は素晴らしい。
だけど「ネガティブ」な月光は、人の「根っこ」を照らし出す。
そしてそこに「真実」が潜んでいたりするものなのだ

「そ、それで愛由ちゃんのところには月から迎えの使者が来たの?それともコウモリに?」野次馬根性とある種の怯えでドモるマスター。
「うん、二人もどんな裁定が下されたのかに怯え震えながら、月下美人を開花から花がしぼむまで一晩中見守り続けた。そして・・・最後の花びらがしぼんだ瞬間、天空の満月が青く光り始めたの!」思わず息を呑むオレとマスター「満月を背に12人の使者がゆっくりとゆっくりと降りてきた。二人が立ちつくすベランダの前の空に並び浮かぶ使者たち。『姫、お迎えに参りました。貴方は真の愛を手に入れました。月に帰る許しが降りたのです』と愛由ちゃんに告げたの。」
「コウモリにならずに良かったんだけどな・・・」それは二人の別れをも意味する訳だ。
「彼は彼女を渾身の力で抱きしめ叫んだの。『彼女は絶対に渡さない!真の愛を手に入れた二人を引き離すなんて馬鹿げてる!俺は彼女がコウモリになってしまったとしても一生愛し続ける!絶対月には帰さない!』と。彼女も、帰りたくない、コウモリになってもずっと彼と一緒にいたい、と泣き続けた。だけど使者たちの操る妖術によって愛由ちゃんは、あっけなく彼の腕から使者たちの元へと吸い寄せられた。彼は必死に取り戻そうとするんだけど、そこは普通の人間は立っていられない空。喚き叫んでもどうにもする事ができないの」
「僅かな距離にいる愛しあう二人が手を取る事さえできないなんて何という不幸なんだ」涙ぐむマスター。「こんなに嫌いあってるジェイさんが、いつも手が届く場所にいる僕も不幸だけど」一言多い。
「でもね、使者の長がベランダの月下美人を指差しこう言ったの。『その花を見なさい。一夜限りの花が夜も終わろうとしているのに花びらが落ちない』と。ハッとして月下美人を見ると、花はしぼんではいるが散ってはいない。『花が散らないのは受粉したから。貴方と姫が真の愛で結ばれた証です。愛を咲かすのは容易い事ではありません。だけど心で繋がるのはもっと難しい事。貴方たちは見事に心の底から結ばれました。だけど姫はいずれは月の世界を統べる施政者の者です。どんなに貴方たちが辛くても、姫を月に連れて帰らねばなりません。だけど10年後の一夜だけ、姫がこの星に戻る事を許しましょう。貴方がその夜まで姫だけを愛し続ける事ができたなら』と。そして愛由ちゃんを連れた使者たちは月へ帰っていったの。」
「現代の『竹取物語』って訳か・・・」
「中秋の名月って旧暦の8月15日ですよね。それは確かにかぐや姫が月に帰って行った日ですね・・・」
「だけどオリジナルではリターンマッチは無かったな。」
「彼に、でも私は貴方が愛し続けた愛由ちゃんじゃない、私はずっとこの地球で生きてきた普通の女の子なのって言ったの。彼は黙って私を見つめ続けた。そして、『分かった、亜優ちゃん。君は愛由とは別の女の子なんだね。でも君に会えて良かった。そして月に感謝する』と言って去っていったの」
「10年と11日待ち続けたのに気の毒ですねえ」
「いや、彼はやっぱり愛由に逢えたんだ」
「ええっ!どういう事です?」
「亜優はやっぱり愛由だったんだよ」
「ジェイたんって・・・」目をつぶり弱々しげに首を振る亜優。「そのあと気になって色々と調べたの、私。実は私の住む部屋はやっぱり1011号室だったの」
「ええっ!?」目を見開くマスター。
「最初あのマンションには4の付く部屋はどの階にも無かったらしいの。不吉だからってね。だけど郵便物の誤配が頻発して住民のクレームが多くなってきた。ワンルームマンションだから若者しか住んでいないので、誰も迷信なんて信じてないだろうと、マンションのオーナーが普通の部屋番号順に戻す事を決断したのね。それは私が入居する前の話し。だから私の部屋は昔は1011号室だったのね。」
「今のマンションは4の付く部屋なんて当たり前だからな」
「お前がアーパーなのは、昔の交通事故のせいだ、ってジェイたんがよく言うよね?」
「ああ、あれは確か10年前の卒業式の帰りの話しって言ってたよな・・・」
「実は私、その後しばらくの記憶がぽっかりと欠け落ちているんだけど、田舎の母に聞いてみたの。そしたら私は、事故の傷害で記憶喪失になってたらしくてしばらく入院していたんだけど、ある時フラッと病院から抜け出して行方不明になった。半年ほど経った中秋の名月の夜に何事も無かったようにフラリと帰ってきたらしいの。行方不明になってた間の事は何も覚えていなかったんだけど、事故以前の記憶は完全に思い出していた。無事に戻ってきた事だし、これ以上私の心に負担をかけるまい、と両親もそれ以上はもう何も問わなかったの。
「確かに時期的なタイミングだけ見れば不思議な一致点もあるけど、それだけじゃあ・・・」唸るマスター。
「そうね、確かにそうよね。でも不動産業者にしつこく聞いたら、実は10年前に半年だけカップルが住んでた記録があるって言うの。じゃあ、何故それを私が入居する時に教えてくれなかったんですか、と言うと、実はその部屋に住んでいたカップルの男性が、飛び降り自殺をした、と・・・」
「じ、じ。自殺?」声が裏返るマスター。
「そう。そして半狂乱になった女性は、警察の現場検証の最中に消えてしまって行方知れずらしいの。しばらく捜査は続いていたらしいんだけど、事件性も薄い事から早々に捜査は打ち切られた。だから男性の自殺の動機は不明のままなんだけど、その消えた女の子の名前は確かに愛由だったらしいの。不動産屋が部屋に残されていたたった一枚の写真を見せてくれた。そこには愛由ちゃんが映ってるんだけど、それはスナップ写真で真正面からのショットじゃないので顔が良く確認出来ない。でも不動産屋は貴方にどこか似てますねえ、と言ってたけど。よく見るとめくれた袖口には紫色の傷跡があるの。そしてそれは私にも」
袖をめくって傷を見せる亜優。そこには確かに痛々しい傷跡が。
「これは交通事故の時の傷跡なの。という事は・・・」
黙り込む三人。だが重たい口を開く。
「・・・お前が月のお姫様なのか、彼が最愛の女性に会いに来た亡霊なのかは分からない。でもお前はアーパーだけど今を幸せに生きてる。そして彼もお前に逢えて良かったと言った。それで・・・それでいいんだ。それで、もういいんだ」
「うん・・・私もそう思う。全然覚えてはいないんだけど、乙女の頃に素敵な素敵な恋をできたんだから。そして覚えてはいないけど、大好きな人に再会出来たんだから。私は誰よりも幸せな女の子なの」
「まあ、女の子って歳ではないけどな」
「もう!ジェイたんのイジワル!」
笑い声が朽ち果てた酒場に広がる。

愛しあう二人にも悲しい別れが訪れる事はある。
それは二人の力だけではどうにもならない力が働いたのかも知れない。
だけど、心の底でその想いを消さなければ、いつか、いつの日か必ず再会できるはず。
陳腐なセリフになっちまうが、それが「ラブパワー」ってヤツなのさ。