黄金の猫 | 禿鷹亭綺譚

黄金の猫

俺の名前はジェイ。いや、本名では無いのだが、酒場を呑み歩いてるうちにいつしかそう呼ばれるようになっちまった。
まあ、そんな事はどうでもいい。取るに足らないつまらない事だ。

その昔は活気に溢れていた盛り場の片隅。
古ぼけたビルの階段を昇って行くと、そこにその酒場はある。店の名はコンドル。
ここにはいっときの酩酊を求めて、どこからともなく訳ありげな人々が集まってくる。
さあ、今宵も彼らの話しに耳をそばだててみるとするか。

「ところでジェイさん」グラスを拭く手を止めて話し出したのは、ここのマスターだ。「最近、パッタリと咲子さんを見なくなりましたよね。どうしちゃったんでしょうね?」
「咲子?ああ、水産会社のOLの子か」そう、咲子は半年ほど前までは週に一回は呑みに来ていた。「天真爛漫で良い子だったよな。貿易事務だったのに営業を希望して移ったとか言ってたから、慣れない仕事でヘトヘトなんじゃないのか?」
咲子が初めてコンドルを訪れたのは、ちょうど去年の今頃だった。恰幅の良い年輩の男性と一緒に連れ立って。二人は親子ほどにも歳が離れているように見えた。いや、酒場ではよくある光景だ。もちろん詮索するような野暮はしない。いつも笑顔で屈託のない彼女の人柄に、いつしか男女を問わず客の誰からも愛されるようになっていった。それだけの話しだ。
「よし、思い切って電話してみましょう。なんだか久々に会いたくなっちゃった」嬉しそうにマスターが携帯のダイヤルボタンを押している。「いや、だってね、こんな寒い夜はいつだってジェイさんしかいないから、笑顔が魅力の咲子ちゃんでもいなきゃますます店が冷え切っちまって、客が寄りつかなくなっちゃうからね。」
「何だそりゃ」『PLATTE VALLEY』を一気に煽る。「誰も客が来ないのは、アンタのフェロモンが出てないからじゃないのか。だいたい、こんなつまんない酒場に毎晩呑みに来てる俺に感謝くらいしろよ。」
「そりゃあ、ありがた迷惑ってヤツですね。ジェイさんのようなコワモテな客がいつも睨み効かせてるから、女性客が怖がっちゃうんですよ」相変わらずクチの減らないヤツだ。「昨夜の女の子だって泣かしてたじゃないですか。あんなに若くて可愛い女の子を・・・。おっ、繋がった」
彼女は俺が泣かせた訳じゃない。気丈な女の子だが、子供ができたの、でも産めないの、とか何とか一人で勝手に泣き出してしまっただけだ。俺が詳しい事情を聞かぬままに。ま、酒場ではよくある話しだが。
「咲子ちゃん、今から来るそうですよ。決算やらなんやらで忙しかったたみたい。でも一段落ついたようですね」マスターが本当に嬉しそうな表情を見せる。「それとちょうど渡したいものがあるからって言ってましたけど」
そろそろ切り上げようと思っていたところだけど、彼女が来るのなら、あと一杯だけ呑んでいくとするか。

「久しぶり、マスター。あれ、ジェイさんも・・・。いつもその席で呑んでるんだね」咲子だ。入ってくるなりハジける笑顔。決して美人とは言えないが、魅力溢れる女性だ。「電話タイミング良かったよ、マスター。昨日までバタバタしてたからさ。あ、そうそう、これ見てよ。」
咲子が差し出したのは、高さが20センチくらいの金色に輝くネコの像。
「ジェイさん、これ何か知ってる?」何、と言われてもただのネコにしか見えない「ただのネコちゃんじゃないのよ、これは。パステト女神って言うの。エジプトの神様なの。」
「ふーん、じゃあ日本の招きネコみたいなものか」そのネコの像を手に取ってみた。「あれ、えらく軽いな。これ金じゃないのか。まあ、ただのOLのお前が黄金像を持ってる訳がないけど。」
「そりゃあ私はただのOLですけどね」咲子がちょっとふくれて見せた。「これは木像に金メッキしたものだけど、考古学的にはスゴいものなのよ。博物館レベルの価値があるんだから。」
「ホントに博物館から盗んできたんじゃないだろうね。咲子ちゃん、前も僕の『Zippo』を勝手に持っていったし・・・」とマスター。
「ちょっと待ってよ、マスター」慌ててやがる「あれは、スターリングシルバーとか何とかをマスターが手に入れたから、もういらないからってくれたんじゃないの。ヒドいなあ」
「いや、確かにあれは咲子ちゃんにあげたんだけどね。まさか君の彼氏のものになってるとは思わなかったよ。それも次の日に」マジで怒ってやがる。
「ゴメンゴメン、だって彼、『Zippo』好きだったから、速攻で取られちゃったんだよ。でもアイツにあのジッポあげたのは、今考えるとなんかムカつくな。今頃何してんだろう、アイツ?」
「星の数ほどあるお前の男性遍歴、いや、失恋経験の話しはもう良いから」優しすぎて男に捨てられてばっかりの咲子に、ちょっと毒を吐いてみた。「そのパステト女神の話しを聞かしてくれよ。」
「うん、これはね。ある男性から退職金代わりに貰ったの。いや、手切れ金かな」少し咲子の瞳が少し曇った。「ここのところ、このネコちゃんをボーっと眺めて毎日過ごしてたの。どこにも呑みに行く気にもなれなかったし。でも、もういらないから、この店の飾り物にでもして貰おうと思ってさ。」
「何か訳ありなんだな、その金ネコは」女という生き物は、いくら男に捨てられても学習しやしない。でも男だって一緒か。
「うん、私、水産会社で営業をしてるでしょ。その取引先の一つに総合商社があってね。そこから持ち込まれた結構大きな共同事業の話しがあってさ。それが、エジプトでカラスミ作ろうってヤツでね」マスターが黙って差し出した『ABOTT』を咲子が喉に流し込む。コクに欠けるが旨みタップリの俺も大好きなエールビールだ。
「エジプトでカラスミ?なんか想像できないな。えらく唐突すぎて」そうは言ってみたものの、酒のアテの話しには俄然興味が沸いてしまう。
「東南アジア辺りでよくある話しのように、そういう食文化が全然無いところを生産基地化しようって訳じゃなくてね」今夜の咲子は知的に見えてしまう。「エジプトでは古代からカラスミを作っていたらしいの。そして今でも食べられているの。もちろん日本のカラスミとは製法が違うから、そのまま輸入してもまず売れないけど、生産加工技術を指導して商売に出来ないかをアレクサンドリアまで現地調査に行ってきた訳。そこで現地コーディネーターをしている桂木ってもう40を超えてる男性と仕事をする事になってね・・・」
「寝た訳だ、要するに」と直球で。「そして相変わらずのオヤジ好き」
「なんでいきなりそうなるのよ。ジェイさんっていつもそればかり」咲子は赤面すると意外に可愛く見える。「恋に落ちちゃったのは確かなんだけど・・・。マスターやジェイさんみたいに夜に生きる男の人たちと違って、ハツラツとしてて、爽やかで、でもどこかに影があるんだけど・・・。とにかくスゴく魅力的だったのよ。仕事も精力的で頼りになる男性だったの」
「僕もジェイさんもエラい言われようですね」マスターが苦笑している。「でも咲子ちゃんだって夜に生きてる気がするんだけどね。」
「そうかも知れないけど、だからなんだけど、そういう太陽のような人に惹かれちゃったのよ」咲子の言う事も理解できる気がする。「でも実際は太陽なんかじゃなくて、山師、いえ、詐欺師だったの、あの人は。」
「ちょっと待って」咲子の話を腰を据えて聞いてみたくなった。「話しがオモシロくなってきそうなんで、『HERRADURA』をストレートで。気付けだからゴールドじゃなくてシルバーで」

あまり暖房の効かないコンドルに、静かに『EAGLES』の『DESPERADO』が流れている。
ネオン輝く窓から通りを見下ろすと、人通りもないようだ。暖かい家が恋しくなりそうな夜。
だけど吹きすさぶ寒風も、酒のアテにはちょうどいい。

「桂木はね、ギザっていうピラミッドで有名な街でこのネコちゃんを手に入れたの」クフ王のピラミッドとかは俺でも知ってる「と言っても土産物屋で買ってきたんじゃないのよ、もちろん。当然ギザは観光地化してるんだけど、その近くにはまだスラム街があってね。遺跡が眠るその土地の上で貧しい人たちがたくさん暮らしているの。カメラをぶら下げた日本人や欧米人が歩くその横でね。偽善かも知れないけれど、やっぱりその光景はカルチャーショックだったわ」咲子がバックから『KOOL』を取り出し、一本火を点ける。メンソールなど吸うくらいなら、ハッカガムでも噛んでろと言ってやりたいところだが。「でも、そんなつまんない同情心など受け付けないくらい彼らはたくましいの。生きる糧は我がでちゃんと確保している。例えそれが法の枠を少し外れてもね。」
「もしかしてピラミッドの盗掘でもするの?」マスターは興味津々のようだ。そして俺も。
「そう盗掘。でもピラミッドじゃない」咲子が悲しい目をする。でも生まれた場所によっては、モラルだけでは生きていけない事も彼女は知っている。「彼らの住む今にも壊れそうなその家のすぐ下には、たくさんの遺跡、いえ、財宝が眠っているの。もちろんそれは国家の財産だから、例え自分の土地であっても勝手に掘り出してはいけないんだけどね。それは歴史的に大発見とも言えるスゴく価値のあるものも時には掘り出されるの。でもそれはブラックマーケットを経て闇のルートを通り国外に流れちゃう。エジプトの人々が目の当たりにする事無くね。悲しい事だけどそれが現実。でもだれも彼らを責める事なんて出来やしない。」
「なるほどね」気付けのつもりだったが、『HERRADURA』は腰に来る。今夜は無事に帰れるだろうか。「で、掘り出したその金ネコを闇で買って、横流ししてた訳だ、その桂木ってヤツは。」
「そんなセコい小悪党じゃなかったのよ、彼は」黙ってマスターが咲子にエジプトのビール、『STELLA』を。独演料といったところか。エジプトはイスラムの国だから、アルコールは呑めないけど、ビール発祥の地でもある訳だ。「手に入れたこのネコちゃんを利用して、壮大な詐欺を企てたの。いろんな人を巻き込んでね。」
「それはどういう」不謹慎だけどワクワクする。
「彼はエジプトに発掘調査に来てた日本の大学に目をつけたのよ」

アルコールが体を回り、浮き上がるような酩酊感が。
だけど革ベルトで縛り付けられたようにイスに腰が張り付く。
この寒い夜にエジプトの話しは、なんだか妙。
だけど身体に灼熱感が広がるのは、テキーラのせいか、それとも怪しげな咲子の話しのせいか。

「エジプトの遺跡発掘調査ってね。その筋で有名な大学だけじゃなくて、結構いろいろと来てるのよ。ハッキリ言えば観光を兼ねてね。例えれば政治屋さんの視察旅行みたいなものよ。」咲子が鼻で笑う。「桂木はある地方大学の発掘隊に有名なエジプト人考古学者を紹介して信用させた後に、彼の鑑定書を偽造して、プロジェクトを持ちかけたの。いえ、発掘の為の先遣隊、交渉団と言った方が正しいね。そんなに簡単にはエジプト政府の発掘許可は下りないから、コネクションを駆使したりする必要がある訳。そこでエジプト語が話せて現地のコネクションを持つ桂木は頼りになる存在だから、そこを逆手に取ったのよ。このネコちゃんを、クレオパトラなんかと並んでエジプト三大美女と呼ばれたネフェルタリ王妃の副葬品だという事にしてね。まだ発見されてない財宝の間を見つけた証拠だ、という話しをでっち上げて。それでもまともな発掘隊なら見抜くところだけど、そこは宗教系のワンマンオーナーが経営する大学で、知名度を上げる為の発掘だから、功を焦って見事に罠に引っかかっちゃったの。有名なネフェルタリ王妃にまつわる新発見なら、エジプト政府の発掘許可も下りるだろうと考えたのは当然の事だけどね。」
「それでそれで」マスターが身を乗り出す。まったくミーハーなヤツだ。俺も人の事は言えないが。
「これは大規模な発掘調査になるから、いわゆるロビー活動の為に大金がいるからって億の金をせしめたのよ。別の大学にも話し持っていって天秤に掛けてるのだとプレッシャーを掛けてね。」そんなにタバコばかり吸ってると、その美しい髪に紫煙の匂いが付いてしまう。「そして金を引き出した後は当然ドロンよ。今頃はハバナ辺りでシガーでもくゆらせてる事でしょうね。」
「確かにソイツは悪党だけど」俺も視点が怪しくなってきた。「君は惚れた男の悪事に対して腹を立ててるの?不謹慎だけど部外者の俺から見れば、大胆不敵でなんだか魅力的に感じてしまうぜ。なんて言ったら怒られそうだけど。」
「彼は詐欺の仕込の為に私に近付いてきたの。私が働く水産会社が、その大学と水産物の養殖で共同研究してるのを初めから知ってたの」咲子が自嘲気味に笑う。「私が懇意にしている先生の紹介で、桂木は考古学の教授とコネクションが繋がったのよ。私のパートナーである総合商社の現地駐在員から私がエジプトに来る情報を得ていて、近付いてきたって訳。遠い地で優しくされ舞い上がって、詐欺の片棒担いじゃった私って、本当に間抜けな女だよね。」
「間抜けな女ってのは否定しないけど」俺から見たら咲子は可愛い女でもある。「咲子の社会的立場も滅茶苦茶になってしまった訳だ。警戒心が足りなかったのは否定できないけど、とんだとばっちりを食っちまったんだな。」
「立場とかはどうでもいいの」咲子も酔いが回ってるようだ。マスターなどいつの間にか奥の厨房で眠りこけてやがる。「納得できないのは、許せないのは、スゴく陳腐なんだけど、未だに彼を憎めない事。いえ、まだたぶん愛してるのだと思う。私を利用して逃げていった彼の事をね。」
「確かに陳腐かも知れないけど、それが咲子の咲子たる所以だろう。騙された人たちには悪いけど、少なくとも客もいなくて寒かったこのコンドルにとっては、間抜けで豪快な話しを聞かせて貰って、少しは盛り上がって暖が取れたぜ。まあハードな酒のせいかも知れないけどね」
「いつもはムカつくジェイさんだけど、たまにはその口の悪さが心地良いね。あれ、私も酔っちゃったみたい。」
「そうそう、酒場にネタを提供するのも、常連客の立派な使命だから。さあ、最後に俺が呑んでるこの『HERRADURA』で締めな。」
「腰落としてなんかしようってジェイさんの魂胆は、100年前からお見通しよ」
「初めから罠がバレてりゃ、後で知って悲しむ事も無いのさ。」
「そうね。では今夜は新しいネタづくりの為に乾杯ね。」
「乾杯」

グラス越しに金ネコ、いや、パステト女神がウインクしてやがる。