地底旅行 | 禿鷹亭綺譚

地底旅行

俺の名前はジェイ。いや、本名では無いのだが、酒場を呑み歩いてるうちにいつしかそう呼ばれるようになっちまった。
まあ、そんな事はどうでもいい。取るに足らないつまらない事だ。

その昔は活気に溢れていた盛り場の片隅。
古ぼけたビルの階段を昇って行くと、そこにその酒場はある。店の名はコンドル。
ここにはいっときの酩酊を求めて、どこからともなく訳ありげな人々が集まってくる。
さあ、今宵も彼らの話しに耳をそばだててみるとするか。

「ちょっとちょっと。ちょっと聞いてよ、マスター!」大声張り上げながら入ってきたのは、その美しい顔立ちに似合わない三の線キャラで売る理穂だ。「あれ、ジェイさんも。ああ、もうそんな事はどうでも良いわ。聞いてよ、マスター!」
「理穂ちゃん、何なの、いったい?」いつのもの事とは言え、気押されるマスター。情けない。
「気にすんなよ、マスター。またどうせ新しい男がどうたらとかいう話しだろうよ」いつもの事だから俺も苦笑い。
「もうっ、そんなんじゃないわよ!」マジで怒ってやがる。「まあいいわ。マスター、取りあえず『Bass』をパイントで頂戴。」
「ゴメン、理穂ちゃん。『Bass』がもう切れちゃったんだよ」
「もうっ!相変わらず使えない人ね。じゃあ、もう何でも良いわ。取りあえずビール出してよ」差し出された『Heineken』を呑みながら語り出す理穂。「それがね、スゴい大変な事になったのよ。」
「失敗して、ハラんじまったか」
「茶々入れないで、ジェイさん」理穂は話の腰を折られるのが一番嫌い。「ちょうど一週間前の土曜の事なんだけど、国立大学で働いてる友だちのセッティングで合コンしようって事になったのよ。エリートってオタクぽいからどうかと思ったんだけど、どこに金の卵が眠っているかは分からないから、一応参加してみたのよ。せっかく夏だから河原でバーベキューでも、という話しになってね。そうねえ、集まったのは10人だったかな。ちょうど男女が半々ずつ。でもやっぱりトークが切れる男がいなくてね。もう帰ろうかなと思っていたら、アウトドア系みたいな『Mel Gibson』に似たイイオトコが河原を歩いてきたのよ。もちろんチャンスと思って声掛けたの。一緒にバーベキューしませんかってね。もうここは自給自足でいくしかないと思ってさ。いえ、そんな事はどうでも良いのよ。ちょっと蒸し暑かったけどビール呑むには最適で、みんなガンガン呑んでたのね。私も『Mel Gibson』と、いい雰囲気になってきてさ。今度二人きりで会おうよ、なんて言われちゃったのよ。いえっ、そんな事はどうでも良いの。そしたらね、国立大軍団の中に好奇心旺盛なリケイオトコがいてね、近くに変な建物見つけた、とか言って大はしゃぎしてるのよ。ホント男っていつまでたっても子供なんだよね。バカみたい。」
「なんだかよく分からないが、話しが長くなりそうなんでちょっとトイレにでも行って来ようかな」
「トイレなんかに行ってる場合じゃないわよ、ジェイさん!」自己中とは理穂の為にある言葉だな。まあ美人だから許そう。「よせばいいのに、みんなリケイオトコの話しに反応しちゃって、その建物を探検しようという事になっちゃったのよ。あと30分もあれば、『Mel Gibson』とキスくらいまでは行けたかも知れないのに。もうっ、思い出しただけでも腹が立つ!ああ、そんな事はどうでも良いの。川沿いの林の中に確かにその建物はあって、コンクリートで作られた窓も無い正方形になっててさあ、なんて言うかなあ・・・見た事はないんだけど防空壕の入口みたいな感じでさ。なんでこんなものに興味を持つのかって言いたいわよ、正直ね。緑に錆びきった鉄のドアがあってさ。あっ、でも鉄のドアなら赤く錆びるよね。という事は、あれは銅製のドアなのかなあ・・・。ま、それはどうでも良いんだけど、その分厚いドアが開いてたのよ。そこから中を覗いてみると、地下に降りていく階段があるのね。ものスゴく長いみたいでさ。その建物を見つけたリケイオトコは先に途中まで降りてみたみたいで、ずっと奥に薄暗い光が見えるとか言うのよ。建物の外側には照明一つ無いのに、中に光があるのはなにか変だろうって。別に変でもいいじゃないよねえ。あんたの人生とは何も関係ないんだしさ。こういう男に限って、好奇心だけで他の女に手を出したりするのよ。なんか、ムカつく!」
「まあまあ、落ち着いてよ、理穂ちゃん。」マスターが『Heineken』のお代わりを差し出す。「これは僕の奢り。なんだか面白い話しのような気がしてきたしね。」相変わらず商売下手。

人は、いや、動物は本能的に闇を恐れる。
それは太古の昔から遺伝子に刻まれてるのだそうだ。
だからこそ、人は本能的に闇に灯る光に吸い寄せられていく。
俺が毎夜飽きもせず酒場へと足が向かうのも、遺伝子に刻まれてるのだから仕方がない事なのだ。

「私は行きたくなかったのよ。ヤブ蚊も多そうだしね。でも『Mel Gibson』も乗り気になっちゃったのよ。そりゃあ彼が行くなら、当然私も行くでしょ。まあ、ある意味チャンスかも知れないと思ったし。だから男女ペアになって行こうって提案したわよ、わたし。で、『Mel Gibson』の腕にしがみつきながら、コンクリートの階段を降りていったのね。でも壁や天井はコンクリートで固められてなくて、土を掘ったままの状態なのよ。いつ生き埋めになってもおかしくないって思ったら、ちょっと背筋が冷えたわよ。外と違って中はヒンヤリしててね。たまに天井から露が落ちてきたり。ホント肝試しには最適な場所だと思うわ。不思議なんだけど、中には照明もないし外から光も入ってこないのに、ボーッと明るいの。リケイオトコが言うには、壁に発光キノコのようなものが生えていて光るんじゃないか、とか言ってたけどさ。10分ほど降りていったら、踊り場と言うか小部屋があって、そこにまた青サビのドアがあったの。巨大な南京錠で鍵が掛けられていたから、この小探検もここで終わりねって思って、わたし的にはちょっとホッとしたのよ。そしたらリケイオトコが、この南京錠は方程式を見つけたら開錠出来るかもとか言い出すのよ。たとえ開けれたってこの先に進んで何の意味があるのよって、ホント叫びたかったわよ、わたしは。」
「南京錠の方程式ってどういう事?」昔取った杵柄だ。「3桁とか4桁の数字合わせになってるヤツなら、俺も開けるの得意だぜ。あれは鍵に耳当てて音を聞きながら・・・」
「それじゃあ、ただのコソ泥じゃん。ジェイさんと一緒にしないで」失礼。いや、失礼なのは理穂。「そんなんじゃないのよ。鍵の側面に3列×3列の穴があって、その穴の周囲にはそれぞれ違う紋章と言うか、絵が描いてあるの。10分ほど考えてたリケイオトコは、これは帝国陸軍が使ってた暗号の変形版だ、とか言うのよ。彼は戦記マニアでもあるらしいのよね。理系ってオタクが多いからヤなんだよね。まあ、それは良いとして、よく見ると穴を囲むその紋章のように見えた絵は、八つの文字なのよ。カタカナぽいけど微妙に違うのよね。リケイオトコが言うには、わたしたちが使ってる普通のカタカナをある種の決め事に従って、線を加えたり減らしたりして暗号化しているらしいの。そう言われれば、確かにそういう風にも見える。で、彼が解読したところによると、横三列はそれぞれ天、地、人で、縦三列は善、凡、悪らしいの。だから天の善とか、人の悪とかいう感じで組合わさった文字が彫られてるらしいの。で、それに対応する何かを差し込めば、この鍵は開くはずだってリケイオトコが頬を紅潮させて喜んでるのよ。でもよく考えてみれば、素人が解読出来るレベルの暗号って簡易なもののはずじゃん。苦労して開けたところで、大したものは無いよって思ったけど、男連中が盛り上がっちゃってそれは言えなかったのよ。じゃあその穴に差し込むものは何かって事になるでしょう。皆でうーん、と考えていたら、リケイオトコがあれだっと叫んで指差したのが天井。この小部屋の天井には赤く錆び付いた鉄板が貼ってあってるんだけど、よく見ると四つの角と、角と角の間に大きなボルトがねじ込んであるの。そして鉄板の真ん中にもね。ちょうど南京錠の穴の数と一緒で、大きさもちょうどいいくらいに見える。目の良いリケイオトコにしか見えなかったんだけど、ボルトの頭の部分には仏像が彫られていたから気付いたらしいの。でも工具がなきゃ外せないし、だいたい外せたところでその鉄板が落ちてきちゃうじゃない。でも男共は意地でも外すとか言うのよ。もう勘弁してって感じでしょ。リケイオトコが『LEATHERMAN』っていうマルチプライヤー持ってるからこれで開けれるぞ、とか言うの。で、男たちが体育祭の組み体操みたいに自分たちの身体で台を作って、その上に乗ったリケイオトコが一つずつボルトを外していったの。もちろんわたしたち女性は、鉄板の下敷きになるのはイヤだから避難してたわよ。男たちは降ってくる赤サビで、顔も服もまっ赤っか。わたしの結婚願望が消えた瞬間ね。こんなに男ってバカだったとはさ。ああ、ちょっと話し疲れたわ。マスター、カレーでも作ってよ。」

『コンドル』のカレーは、一週間コトコト煮込みました、なんてなノリではない。
ポイントはみじん切りした大量のタマネギを、ギーで最低でも二時間かけてひたすら炒める事。
それにブレンダーにかけたフレッシュトマトとスパイスを加えて、最後に茹でたダールを。
簡単だが、これが最高に美味いのだ。

「結局の全部ボルトを外しても、鉄板は落ちてこなかったの。リケイオトコの読みが当たったのね」豪快に盛られた『コンドル』のカレーに、女の癖に大食いの理穂も満足した様子。「じゃあそのボルトをどういう配列で差し込んだら良いのかって事になるでしょう?最初は天井の配列通りに差し込んでみたの。どの辺を上に持ってくるかで四つのパターンがあって、全部試してみたんだよ。でも開かない。さすがのリケイオトコも悩んじゃった。そしたら『Mel Gibson』が俺に貸してごらん、とか言ってボルトを受け取ると、ボルトに描かれた仏像を見ながら、南京錠の穴にはめ込んだのよ。そしたら何と開いたのよ、その南京錠が!わたしスゴく驚いてさ。何で分かったの?って聞いたら、これは曼陀羅なんだよって言うの。だいたい曼陀羅って何よ?マスター知ってる?とにかく彼が言うには、天井にはめられてた時の配列は平和を守って大地を支える仏の配列で、南京錠の配列は、天変、地妖、疫病、戦乱を起こす事によって、その時の大地の支配者を一掃して新しい世界を造る配列だと言うの。なんなの、それ、いったい、って感じでしょ?まあ現在の支配者っていうのは、わたしたち人間の事らしいけどね。虫けらじゃあるまいし、そんな簡単に一掃されて溜まるもんですか。ねえ。」
「僕は個人的にジェイさんを一掃して欲しいなあ。だってこの人、この店ではまるで自分がオーナーのように振る舞うんだから。狙い撃ちの曼陀羅って無いの、理穂ちゃん?」こいつは絶対マジで言ってやがる。
「あはは、それ良いかもね」全然良くない。「それでその分厚い青サビのドアを、わたしが開けたのね。不思議な事にほとんど力を入れなくても開いたのよ。リケイオトコは、油圧かベアリングを利用してんだろうとか言ってたけどね。中に入ってみると、みんな思わず息をのんだの。壁や天井は石柱を並べて造られていて、見た感じは古墳のように見える。そしてその石柱にはいろんな仏様やら、訳分からない文様やらが描かれていたの。でも驚いたのはその事じゃない。部屋の中央に直径3メートルくらいの円形になった石のプールみたいのものがあって、張られた水が青く光って部屋全体を照らしているの。スゴく幻想的でね。この間、広告代理店の人とデートした時に行ったダイニングバーより、オシャレだったなあ。そのプールの底の真ん中には石で出来たマンホールの蓋みたいなものがあって、その回りには時計みたいに12個の黄色い円柱が立てられているの。そのマンホールの蓋を見た『Mel Gibson』が、異常な程に興奮しちゃってね。男ってヤツは、やっぱ穴にはすぐ反応するのかしら?ああっ、いけない、いけない。下ネタは封印してイイオンナになると、この間決めたばかりなのに。やっと見つけたぞ、とかブツブツ言ってる『Mel Gibson』を無視して、壁の暗号文字を見ていたリケイオトコがいきなり叫んだの。ヤバい、すぐにここを出なきゃヤバいぞって。彼が言うには、そこには『二号研究』と書かれてあったらしいの。それは第二次大戦中に帝国陸軍が秘密裏に進めてた、原爆の研究開発プロジェクトらしいのね。そこから推察すると、ここは秘密の研究施設跡だろうって。そして水に沈められた黄色い円柱は、焼き固めたウランだってね。発光キノコか何かと思っていた階段の明かりも、放射性物質を利用してたんだろうって。もうみんな固まったわよ。パニックとはまさにこの事って感じで、ワアワア、キャアキャア言いながら、みんな我先に逃げ出したの。もちろん、わたしもすぐに逃げようとしたんだけど、『Mel Gibson』がその場も離れようともせずに一人笑ってるの。恐怖で気が触れたのかと思ったわよ。彼は、この水の底の入口の先には、新世界があるんだ、僕はそこへ行く、なんて言うのよ。何バカな事言ってるの、早く逃げましょうって手を引っ張ったんだけど、振り切られちゃった。そして彼は水の中へ入っていってしまった。もう付き合いきれないから、わたしはそのまま逃げたんだけどね。」
「な、なんかスゴい話しだね」マスターの顔が青ざめている。「ちょっと寒くなってきたからクーラー切るね。」臆病者なのもマスターのキャラだ。
「階段がとても長く感じたんだよね」そりゃそうだろう。「やっとの事で外に出たわたしたちは、河原に置かれたバーベキューセットやら何やらを置き去りにして、車に乗り込んだの。リケイオトコの働く大学に向かう為にね。でもね、大学病院でみんな見て貰ったんだけど、放射能障害の兆候は一切無いと言われたのよ。リケイオトコが自分の研究室から持ってきたガイガーカウンターっていう放射能を調べる機械で、皆の身体を計測してみてもやはり放射能は確認出来なかったの。まあ良かったんだけど、ではあの青い光は何なのよって感じよね。でもその時はそんな事考えてる余裕もないし、みんな精神的にヘトヘトになってしまったから取りあえず解散したのよ。」
「気になるのは、その『Mel Gibson』がどうなったか、という事だよね」
「うん。もちろんわたしも気になっていた。バーベキューの後片づけもしなきゃいけなかったんだけど、女性陣はもうあの場所には行きたくないって言うの。まあ、当然よね。わたしもそう。結局色々気になる事があるからって、リケイオトコが次の日に一人でその場所に戻ったの。そしたら、なんとね・・・」
「何なのよ!?」オネエ言葉になってるマスター。よほど肝を冷やしたみたい。
「その建物が無くなっていたの。正確に言えば地中に沈んでいたのね。リケイオトコが乗ってきた四駆に取り付けてあったシャベルで建物があった場所を掘ってみたら、その建物の屋根らしきコンクリートにぶち当たったらしいのよ。土を退けてみるとその屋根にはやはり曼陀羅が描かれていたらしいの。もっと詳しく調べたかったらしいけど、結構早い速度で沈下し続けてるらしいのよ、その建物が。だから危険だし、仕方なく断念したらしいのね。彼が言うには、ボルトを外した事による物理的な沈下かも知れないし、それ以外の理解不可能な力が働いてるのかも知れないとも言ってた。」
「じゃあ『Mel Gibson』は、その建物と一緒に地底に沈んじゃったの?」オネエ言葉が直らないマスター。
「それからね、戦記に強いリケイオトコが、『二号研究』やら帝国陸軍にまつわる噂を徹底的に調べたらしいのよ。そして彼から今日電話が掛かってきて、彼なりの推論を聞いたのよ。当時帝国陸軍には、法華経を過激に解釈する青年将校を中心としたカルト集団があったらしいのね。その一派は、どうやら『二号研究』に関わっていた陸軍航空技術研究所にもいたらしいの。『二号研究』自体は秘密裏だったとはいえ、軍の承認の元に行われてたんだけど、研究所内のカルトメンバーが何らかの目的で研究資料やら研究設備、ウランなんかを持ち出したんじゃないかって。その目的は、たぶん『世界征服』だろうとも言ってた。そんなショッカーじゃあるまいし、わたしたちが聞いたらまるでバカバカしい話しだけど、これに似たような話しも以前あったしね。そのカルト集団は日本の敗戦と共に消滅したらしいんだけど、実際のところは分かっていないの。だから、実は今も地下で活動している可能性も考えられる訳よ。彼が言うには、『Mel Gibson』もそのメンバーだったんじゃないかってね。彼なりにその『聖地』を調べてた時に、偶然わたしたちと会ったのかも知れないね。だから・・・だから彼にとっては、たとえ地中深く沈んでしまっても、幸せだったのかも知れない。」
「気になるのはそのマンホールの下に何があったか、という事だよね」
「うん。でもね、もうこれ以上その事に関しては関わりたくないのよ」そりゃそうだろう。「それに今のわたしは忙しくて、そんなヒマもないし」
「仕事が忙しいの?」
「いえ、新しい彼が出来たのよ」
「えっ、誰。僕の知ってる人?」
「そのリケイオトコくんなの」
「ええっ!?」
「ルックスはともかくアタマは抜群に良いし、それに今回の件でなんだか親近感感じちゃったしね。あっ、もう約束の時間に遅れちゃう。今から彼とデートなのよ。じゃあね、マスターとジェイさん!」置き去りにされた俺たち二人。

まだ聞きたい事は幾つもあったけど、蒸し暑い夜を涼しくしてくれた理穂に感謝しながら、呑み直す事にでもしようか。